【人間関係】自分の常識は誰かの非常識

今日は人間関係に関するまったり哲学を書いていきたいと思います

 目次は以下の通りです

 

これを意識すると楽になるのでぜひ最後まで読んでいってください(´ω`*)

なぜあの人は間違っていることをするのだろう?

誰もが自分の中でこれは正しいという考え方を持っていて
それを絶対の正義だと信じています

 

自分の常識から考えればありえないことを他人は平気でしています
それでもその人にとってはそれは常識で当たり前のことです

 

小さい例でいうと靴下を脱ぐときに裏返しのまま洗濯籠に放り投げる人も居れば
きちんと元に戻してから入れる人も居ます

大きい例でいうと昆虫食があげられると思います
食べない人たちからすると食べるのが罰ゲームのように扱われますが
国や場所によってはごちそうとして幼虫が食べられています

 

私が思いつくだけでも簡単な例がたくさんあるので
どんなひとでもこの人の常識は自分とは合わないなと感じる部分があるはずです

 

問題はここからで世の中には相手の常識を否定して自分の常識に合わせようとする人がいます

私が強く言いたいのがもしあなたがそのタイプの人に会ったら全力で逃げることと
自分がそのタイプにならないことです

 

エネルギーが吸い取られる

そういった人になるのも疲れるし近くに居られても疲れます

 

私の母の場合は父が毎日お酒を飲むのをやめさせようとしています
母の常識の中では父の飲む量が多すぎると考えていて
それに対して父は仕事終わりの唯一の楽しみなんだから
これぐらいいいでしょと考えています

 

世間一般ではお酒を飲むことが体によくないのは知られているので
悪いのは父のように思えます
でも父の中では仕事終わりにお酒を飲む行為はもう当たり前の常識なので
自分から変えようと思わない限り変えることはありません

 

自分が尊敬している人が辞めたら一緒にやめるかもしれないし
体を壊してからやめるのかもしれません
どちらにしろ他人からの声で誰かの行動が変わることはかなりまれです
しかもそれは近しい人からの言葉であるほど変化は起きにくくなります

 

母は毎日変わることのない父の常識に対して自分の常識を押し付けていますが
何も変化はなくただ母のエネルギーが無駄に消耗されているだけです

 

いい意味であきらめる

では母はどうすればいいのか
私の考えではいい意味であきらめるのがいいと思います

 

もう父にお酒をやめさせれるのは無理だから知らないと無視してしまえばいいのです

 

それで体を壊したらどうするんだという意見はありますが
壊さなければやめないほどはまっているものを自分の言葉で変えるよりも

流れに身を任せた方が自分の体力を他のところに回せて効率的だと考えます

 

世間体的には入院した後の世話はしなくてはいけないですが
それも嫌なら離婚をしてしまえばいいと思います

 

そうすれば義務は発生しませんし自分の常識が通用しないイライラからも
解放されます

 

求めていない人に自分の常識を押し付けるほど疲れる行動はないので
変わらないと思ったらいい意味であきらめてしまうのをまったり哲学ではお勧めしたいです

 

あれだけいって変わらなかったのにテレビの番組を10分見ただけで
行動が変わるなんてことはよくありますし
他人をコントロールしようとするほどめんどくさいことはありません( 一一)

 

まとめ

他人に自分の常識を押し付けても変わらないからいい意味であきらめる

 

今回のまとめはこれになります

自分が常識だと思っていることは本当に常識なのかどうかもう一度考えてみて
自分にしかないマイルールだと思ったら押し付けるのはやめると無駄な労力を使わなくて済みます

 

誰かの非常識な行動はその人にとっては意味のある常識ある行動かもしれないので
スルーしてそれでも耐えられないならそっと離れてください

 

無駄なストレスをなくして楽に生きるヒントになればうれしいです

ここまで読んでくださりありがとうございました(*^^*)